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​デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場/河野 啓 

、何者だったのか? 

彼とはもちろん「夢の共有」を謳い登山を続けた栗城史多さんのことだ。一度もその頂を踏まぬままエベレストで滑落死し、もうすぐ5年(2023年3月1日現在)になる

 著者の河野 啓さんはテレビ番組の制作のため、2008〜2009年ごろ彼を取材していたそうで、その後、栗城さんへの不信感や不満から取材をやめた。だが2018年5月に栗城さんが亡くなると、10年もの間、空白だった取材を関係者への聞き込みという形で再開する。

 私がこの本を手に取った一番の理由は、栗城史多という人物への興味や、滑落死がなぜどのように起きてしまったのかといった事実考察のためではなかった。

 栗城さんがメディアとどのように関わり、その背景には何があったのか。周囲にどんな人たちがいてどんな影響を与えあっていたのか。著者がエベレスト劇場と呼ぶ、その劇場はどのように形成されていったのか。そこを知りたいと思った。

 読後の感想はいろいろあるが、1つは「本書はテレビマンである河野さんの懺悔本である」ということ。2つ目に思うのは、栗城さんがハマってしまったのは「メディア」と「誤った自己啓発」の落とし穴なのでは?ということ。紹介される様々なエピソードに、この2つの大きな落とし穴が黒々と見え隠れする。

 栗城さんが山に出合ったのは大学時代で、当然、まだ社会経験も浅く精神的にも成熟した大人ではなかっただろうと思う。そこに登山という自己実現の場が現れ、ふわりとした美辞麗句で肯定感を強めるだけの自己啓発者たちが現れ、視聴率やアクセス数を稼ぎたいメディア人が群れた。

 栗城さんは持ち前の行動力と粘り強さ、人懐っこさで称賛と高額スポンサー料を得ていくが、彼の誇大表現(嘘)に、大人として本気で向き合い、叱る人がいたのだろうか

 思春期の真っ只中で母親を失った彼の喪失感、悲しみや孤独は、ケアされていたのだろうか。あらゆる面で未熟だったはずの彼の誇大表現を、大勢の大人が「おもしろい」「夢がある」「数字が取れる」で祭り上げて、よかったのだろうか。

 時代背景を考えると、現在はネット上の誹謗中傷を多くの人が認識するようになったが、当時はまだそこまでの意識はなかったように思う。また企業や各種活動を行う団体が社会的責任において声明を出す、という風潮も今より少なかったはず。

 栗城さんの活動がもし10年ずれていれば、彼自身が提示する誇大表現は当時より受け入れられず、ネット上の誹謗中傷にも当時よりは厳しい目が向けられ、山岳会はその社会的責任において早い段階で声明を出していたかもしれない。

 プリンシプルのない自己啓発は夢に酔うことができる。そこにお金がついてしまったら尚のこと、演者として「夢見ている自分」の役を降りることは難しい。そして、いつしか「夢舞台を盛り上げること」が目的になっていく。

 最後に。

 基本的に、本書に書かれているエピソードは「河野さんが聞いた話」であり「河野さんが事実だと感じたこと」なのだ。死後の関係者への聞き取りなので当然かもしれないが、誰も検証のしようがない。

 この本は第18回開高健ノンフィクション賞を受賞している。もしこの本がノンフィクションなのだとしたら、それは著者・河野 啓さんのノンフィクションなのであり、決して栗城史多さんのノンフィクションではない、と私は思う。一方、メディアを含む「情報の影響力」に興味のある人にはおすすめしたい。かなり考えさせられる内容で、一読の価値はある。

2023.03 AK
 

書籍紹介

デス・ゾーン 

栗城史多のエベレスト劇場

河野 啓 著

第一刷 2023年1月25日

​発行所 集英社

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場, 河野 啓, 集英社
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