火花/又吉直樹
笑いながら泣けてくる―。久々にそんな稀有な体験をさせてくれた一冊がこれ。お笑いコンビ、ピース・又吉さんの「火花」だ。
芥川賞の受賞が報じられた当時は「へぇすごい」としか感じていなかった本作。いつか機会があれば、くらいに思っていたが、又吉さんのYouTubeチャンネル「渦」がおもしろすぎて、作品を読んでみたい熱を発した。
「火花」は、お笑いの世界で生きることを目指しながらもまだまだ駆け出しの徳永が、天才肌で異質な言動を放つ先輩芸人・神谷と出会い、互いに右往左往しながらも妙な絆を強めていく。そんな物語だ。
冒頭の印象的な花火、そして神谷との強烈な出会いのシーンから、文字通り、目が離せなくなった。又吉さんが紡ぐ言葉の端々にたっぷり哀愁とブラックユーモアが含まれている。単純なおかしさ、世の中の風景に馴染まない神谷の姿も鮮明に描かれる。
私は、この作品をずっと列車や飛行機などの移動中に読んでいた。小説を読みながら"吹く"ことなんてそうそうないのに、本作は読み進めるたびに思わず吹いてしまう。そして奇妙なことに吹きながら涙がじんわり浮かんでくるのだ。
先輩芸人の神谷は、一般社会には決して馴染まない。誰に迎合することもなく、媚びへつらうこともなく、自分が考える笑いやおもしろいと感じることだけを追求している。当然、収入はない。女性に食べさせてもらい、借金を増やし続けている。
その神谷が時々放つ言葉の強さが、魅力のひとつだった。何かに流されている人間には発せられない言葉が随所に散りばめられていた。その鋭い考察力や純粋な信念と、神谷自身のどうしようもない暮らしぶりとのギャップが切なく、胸が締め付けられる。
2人は長い時間を共に過ごし特別な信頼関係を育んでいくが、芸人としての現実、売れることが正義という価値観の中で、次第に複雑な思いが交差していく。
徳永が先の人生を決めた頃、失踪していた神谷と再会するラストシーン... 笑いのためにとんでもないことをしでかした神谷の姿に、そして、そんな神谷に涙しながら一般論を浴びせつつ共にいようとする徳永の思いに、読んでいるこちらが泣けてくる。描かれている状況は、とてもとても滑稽なのに。もし神谷にとっての徳永、徳永によっての神谷が誰にでも存在していたら、この世界はきっと、もっと優しい包容力に満ちた自由なものになるのだろうな。
2021.05 AKi