祖母が死んだ。
突然の転倒のちょうど1ヶ月後のことだった。転倒した時には頭部を数針縫ったもののお医者様も驚くほどの回復を見せていて家族もほっと安心していた頃だった。
祖母とわたしは何となくお互いがほっとできる存在だった。何もかもを話すわけではなかったが、気のおけない親友のような、一緒にいるだけで心安らぐ存在だった。
突然の再入院の連絡から数時間後には意識を失い、その5日後に、逝ってしまった。95歳、闘病0日。最低限の医療措置で、5日間でゆっくり身体の機能が低下していき、最期は、驚くほどきれいな姿だった。
病院のベッドで、移送の車の中で、葬儀前の控え室で、ずっとそばにいた。何度も顔に触れ、手を握り、胸を撫でた。冷たくなっても、祖母のぬくもりは消えなかった。
初七日が明け、遺品整理の日。
手編みの正方形をパッチワークのように繋げて作った座布団、薬や裁縫道具を入れる袋。ポーチや巾着袋、布マスク。すべて手作りで、その編み目や、ひと針ひと針に、祖母らしさが生きていた。
もう捨てても良いようなビニール袋も、紙製の扇子も、セロハンテープで補修して大切に使っていた。
10代から両親の農業を手伝い、戦争を経験し、貧しさの中で下のきょうだいを育て、ずっと家族のために生きてきた人だった。70代になるまで、働き通しの人だった。働き過ぎて、手の指も、足も、曲がっていた。
高齢になった祖母が、わたしは可愛くて、愛しくて、仕方なかった。決して完璧じゃないし、小さな後悔はやっぱりあるけれど、一緒に過ごした時間、食べた物、出かけた場所、家での何気ない場面が、すべて宝物のように脳裏に浮かぶ。
編み物にも、縫い物にも、漬け物にも、料理にも、祖母の手仕事には愛があった。ひとつひとつ、一瞬一瞬を、きちんと重ねる。気を入れて、最後までしっかり仕上げる。その姿がとても立派で、まとっている空気感も好きだった。
いまは、赤と白の毛糸で編まれた紐を、大切に握りしめて眠る。祖母が自室の照明器具のひもを延長するために編んで、付けていた紐。就寝の際に毎晩、触れていた紐。
最後の最後まで人のために手仕事を続け、自分の生活の始末もきちんとつけていた祖母の、あの手の感触を、忘れない。MH