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真夜中の贅沢


夕方いただいた珈琲だったり、偏頭痛だったりで、眠れない夜。なかなか寝つけない時は、寝ないことに決めている。人間、限界が来れば、肉体が勝手に眠るものだ。


バルコニーに出て、夜風に当たり、空を見上げて、耳を澄ます。昼間には気づかない夏の虫の音や、樹々の葉の音。しんとした静寂、風の音。そんな、微細な空気を感じられる贅沢な時間が訪れる。


真夜中は、不思議だ。


虫だって草木だって人だって日中と同じように生きているのに、みな、息を潜めているかのよう。時間さえ、その流れを緩めている。


こんな時、本を読んだり、映画を観たりするのは野暮というもの。ただただ夜の静けさに浸り、自分の呼吸の音を感じてみよう。ひと息ひと息、長さも強さも、おなかの膨らみも違っていることに気がつくはずだ。


だからどう、ということはない。呼吸法の話でもない。予期せずぽっかり空いた、この静かな時間を有意義に使うなんて、もったいない。無意味に使ってこそ、贅沢というものだ。


自分の呼吸の音を聴く、の他に、わたしが好きな一人遊びがもうひとつある。名付けて「サイケデリックシアター」だ。


子どもの頃は、毎晩のようにやっていた。風邪をひいて「ちゃんと寝てなさい」と言われた時など、思う存分、このシアターに浸っていた。


そう、瞼(まぶた)の裏の模様を楽しむアレである。瞼を閉じてしばらくすると、漆黒の背景に、さまざまなデザインが浮かび、流れていく。青や緑、赤、紫、シルバー… 時間の経過とともに色も変化していく。


眼球を包み込むように優しくマッサージすると、さらに展開する。繰り広げられるサイケな世界は、まるで粒子の集合体、なんとも宇宙的なのだ。映し出される大きめの光を追うも良し、ゆっくりと移りゆく全体の流動を楽しむも良し。


自分の肉体だけで、時間をつぶす。


だから何?と言われても、返す言葉はない(あるわけない)。が、しかし。小さな声でわたしは問いたい。大人になったからと言って、あまりに「有意義なこと」にとらわれてはいませんか? と。


無意味だからこそ意味がある(?)、そんな時間を過ごすには、この世界でたったひとり起きているかのような、こんな「真夜中」がちょうど良い… MH




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