久しぶりにJRに乗ると辟易することがある。必要以上に長く丁寧すぎる車内アナウンスだ。
現在地がどこで、次の駅がどこなのか。おおよその到着時刻。そのくらいのアナウンスで充分なのに、やれ「携帯電話をマナーモードに」だの「通話はデッキで」だの。極めつきは「貴重品の管理はお客様ご自身で行なってください」「貴重品の扱いには充分にご注意ください」… 心底、辟易する。
わたしが訪れた中では、こんなアナウンスをする国はなかった。電車の中で人の迷惑にならないように気を配ることを、公共のアナウンスで言われなければできないほど、わたしたちはおバカなのか。人に言われなければ、貴重品の管理もできないのか。
百歩譲って、できないとして、それらができなくて恥ずかしい思いをするのは本人だ。本人の責任で恥をかいたり、あたふたすればいいだけのことである。公共のアナウンスに言われる筋合いは、まるでない。
子どもの頃から、わかっていることや自分で考えて決めるべきことを人にとやかく言われるのが嫌いな質だったから、やけに気になるのかもしれない。が、こういう過剰なサービスが日本人の質を落としている気がしてならない。
わたしたちは、いつから「して(言って)もらって当たり前」になってしまったのだろう。いつから「そんな説明はなかった」という責任転嫁でサービス提供者を責めるようになってしまったのだろう。これらの行為は、よくよく考えなくても、幼稚の極みだ。
「危険ですので白線の内側にお下がりください」と、言われて初めて気づくようでは、その状態こそが、いろんな意味で、危険である。
でも、この過剰サービスの中に暮らしていると、誰もが、これを日常の風景として「慣れ」、ボケていくのだ。そういう国に暮らしていることを忘れてはいけないな。車窓に映る紅葉を見ながら、しばし考えた。