検索

恋という名の病

iPS細胞の研究がいかに進化しようとも、治せない病。それが恋である。


恋愛を「患者を結婚させるか、あるいはこの病気を招いた環境から引き移すことによって治すことができる一時的精神異常」と語ったのは、毒舌家で知られたアメリカの作家、アンブローズ・ビアス。言い得て妙だ。


誰かを好きになり、春の陽炎のごとく揺らめき、秋の頃には切なく落ち込み、やがて、相手の短所と自分の未熟さを照らし合わせて悶々と悩む冬が到来する。いつ罹患したのか定かじゃないし、ワクチンもない。


大切な友人の恋の悩みを聞くことが、わたしは大の苦手だ。話を聞いてほしいだけの相手にあれこれ助言してしまうし、友人の相手方の立場まで考え、つい、フェアに話してしまったり。静かな頷きと、味方であるという安心感だけを求めている友人には、大迷惑な話。


大人と呼ばれる年齢になって、はじめて、結婚していようが、いくつになろうが、人はこの病を発症するのだ、ということを知った。ウイルスは強力で、ちょっと免疫力が落ちている時なんか、一発ドン、である。


恋は、人を美しくするが、醜くもする。恋は、人を強くするが、打ちのめしもする。わたしたちは、その症状を正しく理解せず、長い間、美しく咲く蓮の花だけを称賛してきたのではないか。もちろん水面下を覗けば、泥や、根や、水草。いろんなものが絡まり、ドロドロに濁っている。


重症度が増すと「相手の自由を奪う」という弊害が起きる。「彼がわたしを見てくれない」「連絡をくれない」「〇〇してくれない」。いつ何を見るか、誰に連絡をするかは、むろん相手の自由である。わたしの気持ちをぜんぜん分かってくれないの!と叫ぶ時、わたしたちは、相手の気持ちをまったく理解していない。滑稽とは、まさにこのこと。


恋愛しない若者が増え、あぁ、人は、こうして進化していくんだなぁ、と心底思う。子孫を残すなら、一時、本能に身を任せれば良いし、理性的に残すなら人工的なアプローチも有効。彼らは、もう、人類に恋という名の病は必要ないと気づいたのだ。


彼/彼女がいないと生きていけない...なんて嘆くのは束の間のこと。暖かい毛布においしい食事、気のおけない仲間がいれば、案外、楽しく生きられることを、わたしたちは経験から学んでいる。AIのように経験値から学習し、最善を導く。その答えが「もう恋は不要」なのかもしれない。


「昔の人って恋愛してたらしいね」「マジで? めんどくさ...」。そんな会話が一般的になる日も近い。MH

最新記事

すべて表示

愛する人が編んだ紐

祖母が死んだ。 突然の転倒のちょうど1ヶ月後のことだった。転倒した時には頭部を数針縫ったもののお医者様も驚くほどの回復を見せていて家族もほっと安心していた頃だった。 祖母とわたしは何となくお互いがほっとできる存在だった。何もかもを話すわけではなかったが、気のおけない親友のような、一緒にいるだけで心安らぐ存在だった。 突然の再入院の連絡から数時間後には意識を失い、その5日後に、逝ってしまった。95歳

「自由と権利と責任」の話

いま、じわじわ広がりつつある空気感の中で、わたしがものすごく嫌なのは、#COVID19 に関わる自粛があくまで「要請」でありながら、一部で「見せしめ」行為が行われ、個人の自由と権利が奪われていることだ。

スーパーセンチナリアン予備軍

2020年を迎える年始、93歳になる祖母が「お泊まり」にやってきた。祖母は大正15年、農家の生まれで、14人きょうだいの次女。長女を含む数人が若年で亡くなっているため、実質の長女(時には親代わり)として、長い間、幼いきょうだいの面倒を見てきた。今は、ケアセンターで悠々自適な暮らしをしている。 ウチには、小鳥が1羽いる。そして、リビングの片隅にはプレゼントされた小鳥の置き物がある。大晦日の夜、わが家

© 2018 GAJIO project