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筆跡

新しい住居は分譲マンションで、新築時にはSさんという女性が住まれていた。その方が亡くなり、ポッと売りに出たのだ。


きれいに住まれていたけれど、数年後にはリフォームの必要性がありそうだったので入居前に床や壁紙を一新し、家具も落ち着き、暮らし始めた。


購入時にSさんの妹さん夫妻に会い、少しお話を伺っていた。長年、教職に就かれていたこと。おひとりだったこと。本や新聞が好きだったこと。鳥が好きだったこと。


ぼんやりと窓の外を眺めていると、不思議な感覚に襲われる。一度もお会いしたことのないSさんが、ここで毎日、まったく同じ景色を見ていたんだなぁと。


定年まで子どもたちを教え、ここは定年と同時に購入したそうだ。妹さんが「姉は足が悪く、持病もあり体は強くなかった」と言っていた。妹さんはかなり離れた地域に暮らしていて、売買手続きの際には遠くから来てくれていた。


定年後のひとりの時間を、どんなふうに過ごされたのだろう。ここは駅も図書館も病院も近く、利便性が高い。近しい人の手を借りることなく、必要なことはすべてご自身でされていたのだろう。そういう最期を迎えよう、と、心に決められていたのだろう。


収納棚の中に分厚いファイルがあり、住設備の説明書がきれいにファイリングされていた。マンション購入時にSさんがお会いしたであろう方々の名刺も整理されていた。ファイルの中には時々、手書きのメモが残っていた。


リフォーム前の玄関のクロスには、ちょうど手をつく高さにほのかな黒ずみがあり、靴を着脱する際の様子が想像できた。夕方になると北側のバルコニーに鳩が来て、人影(私)に近づいてきた。話しかけたり、時々パンくずをあげていたのかもしれない。


人は、こんなにも、跡を残すのだ。家の端々から、Sさんの穏やかな優しさ、誠実さが伝わってくる。亡くなっても、見ず知らずの私に生き方の一端を見せてくれている。Sさんの筆跡は、凛として、とても清らかだった。MH




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