いま、じわじわ広がりつつある空気感の中で、わたしがものすごく嫌なのは、#COVID19 に関わる自粛があくまで「要請」でありながら、一部で「見せしめ」行為が行われ、個人の自由と権利が奪われていることだ。
本来、要請に応える権利と応えない権利が等しくあるはずで、行政や自粛警察なる人々が「見せしめ」行為を行うなんて、もってのほか、である。自粛が「要請ベース」である以上、仮に要請に応えなかった人々をも救う責任が、国・行政には、あるのだ。
基本的人権の分類のひとつに『自由権』があり、これは「国家から制約も強制もされず、自由に物事を考え、自由に行動できる権利」だ。
自由とは、自己のあり方を、自己の責任において決しうることをいう。分別ある人なら「見せしめ」しなくとも、自主的に感染防止できるし、自粛・協力の程度は、本来、個々人が決めるべきこと。
そもそも、ダイヤモンドプリンセス号の下船者を「公共交通機関で帰した」こと、あの時点で「春節の中国人大歓迎!」したこと、医療・介護・教育・セイフティーネットへの予算を削り続けてきたこと... これらは、政治的責任ではないのか?
SARS、MARS、新型インフルを経験してきて、新たなウイルスが発生蔓延する可能性は1ミリも想定できなかったのか? それって、リスクマネジメントできなさ過ぎではないのか?? 政治家のプロ意識って、一体???
今日、出会った本に『洗脳には、①情報内容を密室で決める、②その内容に権威づけを行う、という2つの基本原理があります』という一文があった。
連日、感染者数だけを大々的に取り上げる報道、まったくよくわからない「延長」判断基準(一体、どうなったら解除するのか)、御用専門家による情報の権威づけ、#STAYHOME #おうちじかん 的な切り口で「あなたのおうちじかん、充実してる?」みたいな騙し方(そっちで充実達成感を煽る、的な)...
論点のすり替えもいいところで、ほんとうに良くないと思うし、騙されちゃいけない、とも思う。
いつになく熱くなってしまったのには、理由がある。わたしにとっての「自由」は、身体にとっての「水」であり「空気」なのだ。自由がなくなってしまったら、一体、どのように生きていけばいいのだろう?
誰かが決めた、何の根拠も説得力も整合性もない何かに従わなければ生きることを許されない、なんて、もはや「死」と同義である。
いま、世の中に蔓延しはじめているのは、#COVID19 ではない。他者を不必要に監視する「目」と、無責任な規制、暗黙(無言)の強制力、という気がしてならない。✒︎AKi
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